中学生今昔物語

こんにちは。

みなさん、じぶんが中学生だった頃のことって、覚えてます?

案外覚えてないもんじゃありません?

例えば、修学旅行。絶対覚えてるはずだけど、どんな旅館に泊まって、どんな行程で、って突き詰めると、結構忘れてますよね。

勉強にしたって、子供には「お母さんはこのくらい出来た」とか「お父さんの時代はもっと大変だった」とか言いますでしょ?

でも、実際どうだったかって、案外忘れてるもんですよ。

自分たちの中学時代と今の中学生。途切れることなくつながってるので、基本的なことは今も昔も変わりませんが、学習の内容やスタイルは指導要領の変遷とともに変わります。

最近ではICTの活用も叫ばれていますので、授業の中で視覚教材を使用することも増えました。

しかし、何よりもうちらの時代と全然違う!と思うのが、副教材の多さではないかと。

自分が子供の頃は、まだ、いわゆる学生カバンを持って登校していました。それも、スクールウォーズとかはやってた時代で(歳がばれる…)みんな、カバンを細く加工してるんですよ。それで全部入るんか??って感じですけど、もう一つ、補助カバン持てばなんとかなる程度の分量だったように思います。

例えば国語の準備物は、教科書とノート。以上です。

今の子は大変です。

国語だけでも、教科書、ノート、ワークブック(問題集)、ファイル(プリントを綴じるため。プリントもすごくあるのでとても重い)、二百字帳、漢字練習字典、漢字テストを綴じるファイル、全部で7点です。

教科書も、うちらの頃はB5よりも小さいサイズでしたけど、今はA4。ぐっとでっかくなってます。

国語だけでなく、どの教科もその調子ですから、生徒の荷物はパンパンです。もちろん、昔のような学生カバンでは入りませんから、今はどこの学校も、指定のカバンを生徒に買わせています。強化ビニール製の、大きなバッグです。さらに、指定の補助バッグも買わせて、荷物を運ばせます。

毎年、新1年生の親から必ず出るクレームが

「荷物が重い」

こんなにたくさん荷物を運ばせて、成長が止まったらどうしてくれるんだ!

笑っちゃいますけど、本当に多いクレームです。

で、生徒の荷物を確認すると…確かに重い!

1年生は、純粋ですから、言われたとおりに荷物を持ち運びます。だから本当に重い。

2,3年生にもなると、「え?君、荷物は?」ってくらい軽い。

何故なら置いて帰る、もしくは最初から持ってこないから。

1年生に特有のクレームもあるわけです。

それにしても、副教材。なんでこんなに多くなってしまったのでしょうか。

今の教員は、副教材なしでは授業が出来ないのか?

はたまた、生徒の方が教科書とノートだけでは伸びないのか?

あるいはその両方が原因なのか??


うちらの時代とは、全然違うな…としみじみする今日この頃です。
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清書騒動。

こんにちは。

最近はめっきり、手書きの機会が減ってしまいました。みなさん、手で字を書くこと、ありますか?

私は、国語の教師であるにもかかわらず、字がとても下手です!

うちの自治体の教員採用試験には、書道の実技がないので、なんとか教員になれたといっても過言ではございません。

手書きの苦手な私は、保護者様から丁寧で達筆なクレームのお手紙を頂いても、基本的にパソコンで入力して返信します。

その方が、記録が残るのでいい、と自分では解釈するようにしていますが、要するに、手書きがめんどくさい。

しかし。

こんな仕事していると、自分の文字で書かなきゃいけない機会も多いわけで。

例えば、生活ノートのお返事。

パソコンで打つわけにもいきませんから、手書きです。

短い時間の中で出いるだけたくさん書いてやりたいですから、字がどうしても乱雑になります。

本当に汚いんです。恥ずかしながら。

最初、私のクラスになった生徒は、うんうんうなって読んでます。

小さい声で「これ、なんて書いてあるん?」

って、隣近所で確認し合う姿もよく見られます。

まあ、次第に読めるようになるんですけどね。そこは生徒も成長します(笑)



ところで、ちょっと面白いことあったので聞いてください。

夏休みの間に、生徒の作文を採点したのですが、この作文、文化祭で意見発表会をするための作文なので、教員が添削の赤ペンを入れる作業を並行して行いました。

で、赤ペンの入った原稿を、清書させる作業をしたんですけど。

各クラスで最初に説明したんですよ。

「作文の添削で、もしも読みづらい字があれば、隣近所で確認しても良い。どうしてもどうしても読めないときだけ、ここに来なさい。読んであげます。」って。

そしたら、どのクラスも、てんやわんやの大騒ぎで。隣近所で読み合わせても、どうにも読めない。で、教壇に持ってくるんだけど、その人数が半端ない。ズラ~っと並んで、満員御礼。

いやいや、失礼だな~読めるだろ!と突っ込むも、夏休みに書いた自分の添削の字が、自分でも読めない。

確かにね~いったいなんて書いてあるんかね~と、もはや暗号解読状態。時間内に清書できた生徒、皆無です(汗;)

ところがですよ。

うちのクラスの生徒に、同じように指示を出して清書させたら。

なんと!

誰も来ない!!

静かに清書活動にいそしみ、一時間で無事完了♪

なんだ、この差は!?

毎日の生活ノートでがんがんに鍛えられた我がクラスの精鋭たちよ。

すまぬ。

ちょっと、申し訳ない気分になったもずくでした。

文法って大変。~一字違いで意味変わる~

こんにちは。

日本語が難しいと言われるゆえんは、文法的に複雑だからとか、助詞があるからとか、動詞が6種類に変化するからとか、敬語があるからとか、まあ、いろんな理由があるんでしょうけど。

個人的には、「ものの考え方が、欧米とは違う」

これにつきるんじゃないかと。

英語では、最初に主語が来て、次に動詞が来る、という並びで文を構成しますよね?(いや、よく知らんけど。)

つまり、主語=今から話すことの中心責任者が誰か、はっきりさせとくわ。

次に、動詞=とりあえず、何が起こったかは先に知っといてくれ。ディテールは後で伝える。

ということだと思うんですよ。(違うかも。)

でもこれが日本語だと、結構、めんどくさいんですよね。

我々日本人は、そういうもんだと思ってますけど、最後まで聞かない(読まない)と、結局何が言いたいのかわからないって不便です。

わたしは、昨日、彼と公園のベンチに座って、二人きりで…

おいおい、何したんだ!?おい??

最後まで聞かないとわかりませんから、日本語というのは意味深な言語です。

一番最後になって、ようやく、勉強したなんて述語が出てきたら、

おいおい~なんだよそれは!どきどきしちゃったじゃないか!ということになります。

英語だとどうなんだろ?

いきなり I studied なんじゃないかと思うんですけど。(知らんけど。)

ようするに、何が言いたいかというと、とにかく、回りくどい。

そして、一字の違いにうるさい。

ていうか、一字違いで大違いですから、我々日本人にはお茶の子さいさいでも、外国の方が日本語を勉強するとなると結構大変だろうなと…

例えばこんな例文。

ねこ(  )ねずみ(  )追いかける。

かっこに当てはまる言葉を書きなさいって言われたら、何入れます?

すぐにいくつか考えつきますよね。

①ねこ(ガ)ねずみ(ヲ)追いかける。
②ねこ(ヲ)ねずみ(ガ)追いかける。
③ねこ(ト)ねずみ(ガ)追いかける。
④ねこ(ト)ねずみ(ヲ)追いかける。
⑤ねこ(モ)ねずみ(ヲ)追いかける。
⑥ねこ(ハ)ねずみ(ヲ)追いかける。

ごくシンプルな文ですけど、上から下まで、意味が全く違います。

①と②なんか、完全にトムとジェリーの世界です。攻守入れ替わる様子がまさに想像できますね。

③になると、トムとジェリーは、なんらかの利害の一致で、共謀することを選択したのがわかります。

④ではなんらかのトラブルがあって、犬のスパイク(しばしば悪役で出てきますね)がトムとジェリーを追いかけているようです。いや、もしかしたら、犬のスパイクが、トムと一緒になって、ジェリーをおいかけているのかもしれません。このあたりは、この文だけでは決定のしようがありませんね。

⑤と⑥の文は、上の④までとは違って、副助詞という助詞が入っています。

副助詞とは、明らかな意図をもつ意味を添える役割を果たす助詞です。

⑤の「も」という副助詞は、「他にも追いかけている奴がいるんだけど、ねこも」という意味を言外に添えていますし、

⑥の「は」という副助詞は、「他の奴のことは知ったこっちゃ無いけど、少なくともねこは」という意味を言外に添えています。

う~ん、奥が深い!

普段何気なく使いこなしていますが、日本語って面白いですよね。


文法って大変。~文節に分けるだけでも~

こんにちは。

中学校では、3年間かけて、一通りの現代国文法を学習します。

1年生で文節の働きと単語の分類まで。

2年生で各単語の性質と、用言の活用まで。

3年生で助詞と助動詞および、敬語、間違いやすい表現など。

結構多岐にわたります。

1年生のはじめ頃、「ネ」を入れて文節に区切っているうちは、まだまだ現代文法100のうち1に満たない程度の内容なんですが、生徒はもはや、ヒィヒィ言ってます。

いや~、「ネ」を入れるくらい、頼むよ(汗;)

と思うのですが、案外難しいらしく。

例えば、

お父さんは毎日日記をつけるそうだ。

こんな文があったとしましょう。

大人になると、

「おとうさんはネ、毎日ネ、日記をネ、つけるそうだ(ネ)。」

で一発合格なんですが。

生徒にやらせると この問題、案外物議を醸すんですよ。

まず第一に、「毎日」と「日記」は分けるべきなのかどうか。

なぜ、「毎日日記」じゃあないのか?「毎日牛乳」って牛乳もあることですし。

次に引っかかるのが「つける」と「そうだ」は分けるべきなのかどうか。

これ、説明しようとすると、なかなかやっかいですよ。

正確に説明するとすれば、

「そうだ は助動詞なので、単独で文節を作ることが出来ない。」と言うことなんですけど。

そんなこと習うのはまだまだ先ですから、結局「そのうちわかるけど、ここは分けない。」と言うしかない。

そのうち分かる?そうなんだ…と浮かぬ顔する生徒。

すると今度は、

太郎君は学校をおやすみするらしい。

この問題でつまづいてしまう。

普通に考えれば、

「太郎君はネ、学校をネ、お休みするらしい(ネ)。」

でおっけーなんだけど、生徒にとっては最後の文節、分けるでしょ~!?となるんですね。

文法的には、「らしい も助動詞だから、単独で文節を構成することは出来ない」んだけど、生徒は言う。

「え~先生、さっき、体育祭の練習あるんですかって聞いたら、『らしいよ。』って言ったじゃないですか!」

ひい~~~

確かに~~!!

文法ってね…全部分かると、ああ、そういうことかってなるんだけど…一部分しか習ってないうちは、なんだかごまかされたような気がするんだよね…

しかも、助動詞を習う頃には、もう、前に習ったことは、全部忘れちゃってるしね…

生徒ともずくの、文法合戦は、今日も続いております。

読書量の多い子は、国語が得意である!?

こんにちは。

夏休みは事件が起きないので、なかなか記事が書けません。でも、学校が始まったら、時間的に記事が書けなさそうな気がします。大丈夫かなあ~。。。

さて、今日は、「読書と子供の国語力の関係性」について、私が勝手に思っていることを書きたいと思います。

昨日の記事の中に、ちらっと書いたので、ついでに書いてしまおうということなんですが。私は国語の教員であるにもかかわらず、全く読書をしません。

時間的にそんな余裕がない、というのもありますが、今 12連休の夏休み中であるにもかかわらず、基本、読書に時間を使うことはありません。

何でなんだろ…と、改めてその原因を追究してみたところ。

①まず、興味のもてる文学的文章が少なくなった。
 これは、決して最近の小説が面白くない、とかいうことではなく、歳をとって、どうしてもいろんな経験値が増えてきて、「事実は小説より奇なり」的なことが身近にありすぎるからかもしれません。学校現場は社会の縮図ですから、表に出てこないだけで まさかの事件が山ほど転がっています。

②目が弱くなった。
 あ、これがもしかしたら一番の理由なのかな?とにかく、近くのものが全く見えづらくなり、生活に支障を来すようになってしまいました。皆さんは、老眼をいつ頃から意識し始めましたか?未だ全く感じないという方もいらっしゃいますよね。私は、案外早くて、36歳くらいから、近くがなんとなく見えづらいな…と思うようになりました。いまでは近くはホント見えない…

③そもそも、あまり本を読まない子であった。
 これが、タイトルとも関係してくることなのですが。私は、そもそも、あまり本を読まない子でした。いや、正確には本ばかり読んでるんですが、新しいものを読まない子だったのです。

 生徒の本の読み方を見ていると、本を読む子ほど、次々に新しい本を手に入れているように感じます。最近では、ブックオフのような、気軽に古本を手に入れられる場所が身近にありますから、本好きな子は、そういうところでじゃんじゃん買って、じゃんじゃん読んでますね。

 一方、私はどうだったかというと、お気に入りの本があれば、その本をとことんまで読み耽るタイプです。今でもそういうタイプです。お気に入りのあのシーンは、この本のこの部分に出てくるとか、こういう台詞でこういう言い回しで小説が展開するとか、もう分かりきってるわけです。それでも、おやつを食べながら、今日はこのシーン、明日はあのシーン、という風に、日々、ひたすら繰り返して同じ本を読んでおりました。

 特にお気に入りだったのが「赤毛のアン」。何度読んだかしれない。今でも読むくらい好きです。それからもう一冊、「小公女セーラ」。こちらも、人生のバイブルといってもよいくらい読みました。ほかにも、星新一さんのショートショートとか大好きでした。

 たくさんの本を次々読むスタイルと、私のように、少数の本をじっくり読むタイプ、どちらにも一長一短あるでしょうが、国語力のアップにつながるのは、実は後者ではないかと、私は思っております。

 もちろん、パソコンやスマートフォン全盛で、本自体を読まない人口が増えた現在ですから、本をたくさん読む子は概して学力が高めであることは間違いありません。

 しかし、多読の子の中には、新しい物語の筋書きの面白さだけをかいつまんで味わって、「読んだつもり」になっている子が非常に多いように思います。

 そういう子は、本を読む子に共通する、「漢字がよく読める」という長所もありません。何故なら、難しい漢字や意味の分からない語は、なんとなくスルーして読んでるからです。ですから、語彙力も増えづらいし、多読の割には国語力が上がらないという特徴を持っています。

 よく保護者の方に、「うちの子、よく本を読むんですけど、なんで国語が苦手なんですかね?」と聞かれます。聞かれますが、なかなか本当のことは言ってあげ辛いのが人情です。原因は分かってます。

「お母さん、息子さんは、本なんか読んじゃいませんよ。ページをめくってるだけですから。」

…言いづらいですよね~。。。
プロフィール

もずくねえさん

Author:もずくねえさん
地方の中学校で教師をしています。平生は決して表にさらすことのない、本音の熱い部分を、お届けします。(真面目バーション)

要するに、普段、柄でもない先生ヅラしているせいでたまりにたまってるストレスの解消のため、精神の安寧のため、ここに好きなこと書かせてください的な。(本音)

あ~、清少納言の気持ち、わかるわ~納言ちゃんもたまってたんだろうな~

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