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働き方改革の嘘と現実②~校長の推奨した理想の教育~

かつては、人間の器のでかさ日本一と私が惚れ込んだ校長もいましたが、

今の校長は器の大きさがちょうどお茶碗一個分くらい。

校長の割には若いせいもあって、妙に上(教育委員会)ばっか向いた発言や、自己保身に走る姿勢が、どうも好きになれません。

全校朝会の「校長先生のお話」では、いつもお勉強のことを話されます。

…バカじゃないんかな?

全国学力調査頑張ろう。模擬試験頑張ろう。テストが近いよ頑張ろう。

どうしたら勉強できるようになるんだろう、コツを教えよう。

時間の使い方を考えよう。ものを覚えたいときは寝る前が良いよ。

…やっぱ、バカなんですね。

全校朝会で、校長講話に何が求められているかが、根本的に分かってない。

ほんと、尊敬できない校長なんです。

そんな校長なんですが、ひと月に一回、職員会議の度に、自分の思う理想の教育を熱く綴ったポエム?夢物語?

みたいなプリントを一枚、出すんです。

そこに描かれた理想の教師像。

1年間ゴリゴリ押しつけられて、私の中にくっきりと映像化されたんですけれども。

①『朝は、はよから出勤し、教室で生徒の登校を見守ろう』

②『部活には積極的に出て、生徒とのコミュニケーションの手段に活用』

③『授業の準備にマンネリは禁物』

④『常に(自費で)研修に通い、新しい授業の在り方を模索』

⑤『新しい授業の成果は、学校を上げて行う授業研究会で披露、しかも年2回やろう』
※授業研究会というのは、校外の先生方を大々的に招いて授業を(無理矢理)見てもらい、(無理矢理)褒めてもらう研修会のこと

⑥『生徒のためにいくらでも汗の流せる教員になろう』

⑦『多少の無理も、教員の喜び』

⑧『使った時間は長くとも、それ以上の達成感』

⑨『学級通信を毎日出せる教員は成長する』

⑩『せめて一週間に一度は出せる教員になれ』

⑪『テストの採点ご苦労様です、ただし、持って帰っちゃダメ、学校で付けてね』


…こんな感じの先生が、どうやら理想の教師らしい。

多分うちの校長、教員の勤務時間とか、残業代でない実態とか、知らないんだと思う。

そうでなきゃ、こんな、クソ時間ばっかかる割に教育的効果の薄いこと、口走らんでしょう!?
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働き方改革の嘘と現実①~これまでの日常編~

こんにちは、もずくです。

最近、ようや日本人の働き方について、

「もうちょっと、人生大事にしようよ」

的な声が上がり始めましたね。

遅きに失して、失った命のあまりの多さよ。

もとい、去らなくて良い現場からやむなく撤退していった戦士のあまりの多さよ。

学校現場しか知らないもずくですから、世間知らずは重々承知ですが、

日本人の、人生における「仕事」のプライオリティの高さは異常でありませぬか?

そんな「異常」な学校の働き方と、

働き方改革の波が押し寄せた学校の右往左往を、シリーズで書いてみたいと思います。


ところでみなさん、教育公務員の正規勤務時間が何時から何時までか、ご存じですか?

学校によって、多少のずれはあるものの、もずくが勤務する学校では、

朝8時15分から夕方4時45分までです。

その間、午前に10分の休憩と昼休みが30分、そして勤務時間終了前に20分の休憩が設定されています。

もうこの時点で、は?なにそれ?状態です。

いろいろツッコミどころが多すぎて…何からか語れば良いのやら。



取りあえず、学校って、朝はだいたい6時くらいからプレオープンしています。

ここで言うプレオープンというのは、ただ正門が開いていますよ、と言う意味ではなく、

「電話も取りますし、生徒指導にも困りごと相談にも応じますよ。ただし授業はまだです。」

と言う意味です。

生徒は7時くらいから続々と登校を始め、7時15分くらいをめどに部活の朝練が始まります。

教員が一通り朝練に付き合った後、8時15分から職員朝会。コレが正規の勤務の始まりです。

でも、この職員朝会の前に、我が校では「学年朝会」が行われます。始まりはだいたい8時5分から。

本来は、職員朝会の後、各学年の教員でその日の打ち合わせをする学年朝会があるべきなのですが、

なにしろ、生徒の正規登校時刻が8時25分ですからそれまでには教室に上がっておかなくちゃなんない。

遅刻のチェックをするのに、こちらがいないというわけにはいきませんから、職員朝会の後に悠長に学年朝会をやっているような余裕はないわけです。

結果、例え朝練がなかろうとも、我々の出勤リミットは8時5分。

もろもろの準備を前日に終えて帰ったとしても、やはり30分くらいは心と時間の余裕が欲しいものですから、

どうしても、出勤時間は7時30分くらいになります。

教室に上がるときは、午前中の授業の準備物を全部持って上がります。

私が中学生の頃は、先生って教科書一つ、せいぜいノートを小脇に抱えた程度の簡易装備やってきたような気がするのですが、

今は生徒の副教材も、当時とは比べものにならないくらいに増えています。こちらが配るプリント類も半端なく多くなっていますから、授業に行く準備も大変です。

教員はたいてい、自分専用の洗濯かごのような大きなかごを持っていて、そこに教材を投入します。

教科書、ノート、副教材類、チョークケース、筆箱、お道具セット、カメラ、DVDプレーヤー、パソコン、タブレットなどなど。

さらに、B4のファイルケースを各学級分準備して、その中には各クラスで使用するプリントを入れて持ち運びます。

例えば午前中に3時間授業が連続すると、右手に洗濯かご、左手に3クラス分のファイルケース。総重量いくらくらなるのか知りませんが、とにかく相当な重さ。

これで4階まで上がりますから、老体には辛い。

ちなみに、授業が連続するときには、教材は全部持って上がります。

4階からいちいち降りたくないというのもありますが、それ以上に、生徒を放置したくないからです。

時間があればマイクラスで生徒観察。一分でも一秒でも必ず顔を出すのが、担任の鉄則です。


昼食は生徒と共に。

食後の昼休憩もマイクラスや廊下で生徒観察。

午後の授業の後は清掃、帰りの会。

ここまで一切職員室には降りぬ覚悟で生徒観察。

午後4時に学校は修了しますが、その後も提出物の出来ていない生徒を残してやらせたり、班長会議をしたり、教室整備をしたりで、結局職員室に帰るのは5時過ぎ。

それから部活を見て、生徒が下校するのが6時。

欠席連絡をしたり、出席簿管理など、細々した日常の事務をこなして6時半。

ようやく自分の仕事が出来る時間です。



…って、勤務終了時刻、何時だったっけ!?


これから、昼間やった漢字のテスト付けて、生徒の作文付けて、明日の教材準備して、道徳の授業のプリント刷って、予習もして、班長会議で出来た新しい班の座席表作らないと帰れないんですけど。


これは、教員の日常の中でも、ごく一般的な日常の風景です。ここに、生徒がなんかやらかして、生徒指導が加わったら、さらに時間は繰り下がっていきます。


読んで頂いて分るとおり、そもそも、学校の勤務時間の設定と、生徒の登校・帰宅時間との間に大きな乖離があるのです。

しかしながら、これをもって、

「乖離がある!労基法違反だ!」と叫んだ教員を、私はいまだかつて、見たことがありません。


これが、学校時間の現実です。




              ~続きます。~



墓仕舞いと海洋散骨③

覚え書きの意味も込めて、海洋散骨について書いています。

墓仕舞いと海洋散骨①
墓仕舞いと海洋散骨②


瀬戸内の小島出身の父の両親を、宮島の沖合に海洋散骨することになり、5月の連休に船で出発した話。


5月の連休をチョイスしたのは、いつも鏡のように穏やかな瀬戸内海が、一年のうちでも一番凪いでいる時期だと言うことと、

天気が良い日が多く、しかも暑くも寒くもない絶妙な陽気であるということと、一番のポイントはやはりみんなが集まりやすいと言うことでした。

総勢18人は堅いだろうと主催者側(この場合、私と父)は踏んでいたものの、蓋を開けてみると、集まることが出来たのはわずかに8人。

なにしろ、高齢者が多いため、企画決定から出航を待つ間に体調を悪くしたり、骨折したり、あげく一人は亡くなったりして、参加者わずか8名。

少し寂しい出航となってしまいました。

まあ、どっちにしろ、6名のチャーター船には乗れなかったんだから、20名乗りのチャーター船を借りるしかなかったんですが。

当日迎えに来てくれた船は、大きな、立派なクルーザーで、個室サロンもありテラスもあり、船長が2階で運転するそばに5名程度が座れる特別シートもありました。トイレも完備で、奥には調理場らしきものも見えました。

スタッフさんは、3名も来られてましたね。

うちは結局8名参加だったから、2名程度でも十分世話できたんじゃないかと言う気がしないでもないですが…まあ、これもチャーター料金に入ってるんでしょう。

散骨ポイントまで、エンジン全開であっという間に到着。

そこで儀式の始まりです。

船のテラスに出て、そこで音楽を流し、お葬式と同じ要領で、司会者の司会に従って散骨セレモニーが執り行われます。

ただ、うちなどは、亡くなって40年も経つ(祖母の方はなんと70年以上!)人の散骨なので、涙も無く、辛気くさいムードは一切ありませんでした。

これが、亡くなって日も浅いうちに、お墓に入れるのでなく散骨をチョイスしたという家族であれば、もっと涙涙なんでしょうけれども。

散骨は、参加者一人一人行います。小さな可愛い小箱(解ける紙でできた環境に優しい箱です)に、パウダー状のお骨が少しずつ入れてあり、それを海に撒くと言うより、そっと落とすのです。

しばらくは海を漂っているのですが、小箱が水を吸ってゆるりと溶け始めた途端、中からしろい美しいお骨が入道雲を海の中に立ち上らせるごとくに広がっていきます。

本当に美しい光景で、見とれてしまいました。祖父と祖母では亡くなってからの月日も違うし、原因の違いなどもあるのでしょう、祖父のお骨は青みを帯びるほどの白なのですが、祖母のお骨はほんのりとピンクがかっていました。

その違いも、海に広がった瞬間、とても鮮明に分ります。

一通り散骨を終えると、海にお酒とお茶を流し、それからおびただしいバラの花とバラの花びらを撒きました。色とりどりの花が海面を彩って、感動的な美しさ。

花びらのおかげで散骨した場所がはっきりと分ります。船でその周りをぐるりと小さく一周してくださいました。その間、みな言葉もnなく、美しい光景に見とれていました。

合掌、礼拝、おなおりくださいませ。



セレモニーのあいだじゅう、男性スタッフの方が一人一人の散骨の様子をカメラに収めてくださいます。最後に記念写真を撮ってセレモニーは終了。とても美しく、散骨って良いなって思わせられる、よく考えられた お式でした。


帰りは、せっかく宮島まで来ているんだからと言うことで宮島の表側(鳥居のある側)に回って、鳥居の前で記念撮影。

当日は連休まっただ中と言うことで、ニュースソースによると宮島は、厳島神社に参拝するために2時間待ちの大行列だそうで。

確かに、チャーター船から眺めると、桟橋から神社の入り口まで、ずらりと行列が出来ています。


お茶目な叔父がチャーター船から手を振ると、何しろ暇な行列の方々が、手を振り返してくださる。

めちゃ混みな宮島をゆったりとチャーター船から眺める快適さ。ちょっとした優越感を感じます。

でもこの優越感、24万円かかってますからね…。


港に着いたら、最後にチャーター船をバックに集合写真を撮って終了。

正味2時間半のクルージングでした。

一生一度の貴重な体験…と思いきや、永代供養の寺にお祀りされる気満々だったはずの父が、ぽつりと一言。


「お父さんも、これ(散骨)がいいな…。」




おやまあ。



もしかすると、そんなに遠くない将来、また海洋散骨をすることになるかもしれませんね。
    


                    ~おしまい。~




墓仕舞いと海洋散骨②

こんにちは、もずくです。

年老いた父が、海洋散骨をしたいと言い出して、親族一同で瀬戸内海に出ることになった話の続き。

墓仕舞いと海洋散骨①

父の両親は、瀬戸内の小さな島の出身で、そこで漁師を生業としていたそうです。

父自身はその島に暮らした記憶はなく、もずく自身もその島には行ったことがありません。

当初、せっかく瀬戸内海に散骨するのなら、その島の沖合に流したいよね、と言う話で盛り上がっておりました。

しかし、海洋散骨を行っている業者さんに相談すると、海洋散骨と行っても、決して自由に海に遺骨を撒けるわけではなく、あくまでも行政に許された範囲(これを業者さんは黙認の範囲と言われてました)でしか撒くことは出来ないそう。

広島の元宇品から出航すれば、撒ける場所は自ずと決まっていて、宮島の裏手に当たる沖合でしか黙認されていないと言うことなので、まあそれならそこでも仕方ないか…と、宮島沖で散骨することに。

業者さんのホームページによると、誰も親類縁者が乗らない船で、業者さんに代行散骨をお願いした場合、料金は5万円。

6人までの少人数なら17万円、20人までなら24万円。

出来ればみんな乗りたいと言うことで、来れそうな人を確認したら総勢18人。

ちょっと高いですが、クルーザーをチャーターすることになりました。



ところで、お墓から取り出したお骨は、そのまま海に流すわけにはいきません。

そのままではあまりにリアルですし、そもそも沈みませんし、海で働く様々な方々にご迷惑をかけてしまいます。

ということで、お骨をパウダー状に加工して、環境に優しく、かつさらっと溶けるように散骨できる状態にします。

この加工料金が、一人分はチャーター代に入っているのですが、うちは両親二人分を流すと言うことで一柱(いっちゅう)分割増料金が発生して、プラス2万円、料金がかかりました。


また、散骨する際には、散骨される人が誰なのかをはっきりさせるため、除籍簿(戸籍謄本にバツ印が付いたもの)が必要だということでした。

父の父(もずくの祖父)は、天寿を全うし、病院のベッドでなくなりましたから、除籍簿もすぐに手に入ったのですが、難航したのが祖母の除籍簿。

実は、祖母は看護師をしており、8月6日原爆投下の日に、広島の国泰寺の病院で働いていたのです。

爆心地近くでの被爆ということで、大きな痛手を負い、似島(にのしま)という、広島港の少し先にある小さな島に送られた祖母は、広島が一番ごたごたしているさなかに亡くなりました。

そんな事情もあり、除籍簿をたどるのに多少の困難があったようです。


ようやく書類も整い、遺骨のパウダー加工も済んで、一族みんなが揃いやすい5月の連休をチョイスして、いざ海洋散骨へ。



           ~まだ、続きます。~

 



墓仕舞いと海洋散骨①

お久しぶりでございます。
恐る恐る放置ブログを開いてみると…
毎日、定期的に訪れてくださっている方が一人二人いらっしゃって、
申し訳ない気持ちと、人としてのルーティンの正確さに頭の下がる思いでいっぱいのもずくです。

さて、一年ぶりにここに登場したのは、他でもない、ちょっと特殊な経験をしたので、
自分の覚え書きの意味も込めて、書き残しておこうと思ったからで。

みなさん、海洋散骨ってご存じですか?

亡くなった人の遺骨を、お墓に埋葬するのではなく、海に撒いて供養するという、あれです。
一度くらいは、テレビのミステリー系2時間枠ドラマなんかで見たことあるんじゃないですかね?

あんなこと、現実にする人いるんだろうか、と思っておりましたが、まさか自分がその立場になろうとは。

そもそも、そんなことをすると言い出したのは、他でもないうちの年老いた父親でして。

超保守的に生きてきた父が、長男の宿命として墓を継ぎ、両親の遺骨を守るようになってはや40年。

その間、多少遠方にある墓まで、折に触れては掃除に行き、花を手向ける人生でした。

しかし、そんな父もはや85歳。次第に足腰に自信がなくなり、最近では墓守も辛くなったとのことで、

墓の近くに住む自分の甥っ子にもっぱら管理を任せているような状態でした。

ちなみにもずく自身は、その墓を何度か訪れたことはあるのですが、いつも他人が運転する車に同乗して行くばかりだったため、正確な立地に一切の記憶が無く、一人で行くことは出来ません。

父親としても、自分の死んだ後のことを考えると、心許なかったんでしょう、遠方にある自分の父母の墓を墓じまいして、その骨を海洋散骨したい、と言い出しました。

父自身は、最近流行の墓を持たない永代供養のお寺にお世話になりたいらしく、近場のお寺にすでに目星も着けている模様。

父に未練が無いのなら…と言うことで、多少のごたごたはあったものの、海洋散骨をする方向で話はまとまりました。



父は最初、高知県の沖合の、美しい太平洋の青い海に自分の両親を流したがったのですが、いかんせん、ものすごく遠い。車で行けば、泊を伴う遠さです。

最寄りの港湾からチャーター船で太平洋に行くプランもあるにはあったのですが、長時間の船旅に、果たして素人一族が耐えられようはずもなく、それ以上にチャーター船の金額がエグすぎるというシンプルな理由から却下。

もともと、父の両親が瀬戸内の小さな島の出身と言うこともあり、瀬戸内海に散骨すると言うことで話がまとまりました。


 
                                    
               ~続きます。~




プロフィール

もずくねえさん

Author:もずくねえさん
地方の中学校で教師をしています。平生は決して表にさらすことのない、本音の熱い部分を、お届けします。(真面目バーション)

要するに、普段、柄でもない先生ヅラしているせいでたまりにたまってるストレスの解消のため、精神の安寧のため、ここに好きなこと書かせてください的な。(本音)

あ~、清少納言の気持ち、わかるわ~納言ちゃんもたまってたんだろうな~

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